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聖歌は生歌

聖歌は生歌

先唱者

 「先唱者」とか「先唱」ということばは、共同体によって、使われ方がまちまちのようです。詩編の部分を歌う人や、
ミサ賛歌の出だしを歌う人を言うところもあれば、聖歌の番号や立ったり座ったりの指示をする人を指す場合もあるよ
うですが、後者は、『ミサ典礼書の総則』で言う「解説者」に当たります(同書105b参照)。ここでは、答唱詩編の詩
編の独唱者、入祭・奉納・会食などの行列の歌の詩編を歌う人、さらに、共同祈願や教会の祈り、さらに、祈りを歌う
やミサ賛歌でも扱ったように、歌唱ミサを基本としたミサ賛歌の先唱を考えます。
 その前に、では、「先唱者」とは、もともとどんな役割を持った人だったのでしょうか。中世後期まで、教会では、楽
器の伴奏はありません(ア・カペラ)でしたから、誰かが、聖歌の最初の一節を歌い始める必要がありました。グレゴ
リオ聖歌などでも分かるように、歌いだしで、聖歌の旋法が指示されますし、テンポを決めるのも先唱者の大切な役
割でした。つまり、先唱者の歌いだし如何で、その聖歌の出来不出来が決まってしまったのです。現在では、たいて
いの場合、オルガンなどの伴奏楽器が前奏を弾きますが、『ミサ典礼書の総則(暫定版)』104でも、「会衆の歌を指
導し、支えるために、先唱者または合唱指揮者がいるとよい。そればかりではなく、聖歌隊がいない場合には、会衆
の参加を得て種々の歌を指導するのは、先唱者の務めである」と言われています。ここでは、ローマ典礼の伝統で、
無伴奏のグレゴリオ聖歌が基本になっていますので、オルガンについては触れられていませんが、オルガンの前奏
がない場合は聖歌を歌い始めたり、音を出したりすることはもちろん、合唱指揮者がいない場合は会衆をリードし、聖
歌隊がいない場合は、会衆の指導し、詩編を歌ったりと言うように、先唱者は、非常に重要な役割を持っています。

【答唱詩編の詩編先唱者】
 先唱者の中で一番大切な役割を持っているのは、やはり、答唱詩編の先唱者ではないかと思います。以前に「聖
書と典礼」や「福音宣教」にも書いたように、答唱詩編は歌による詩編の朗唱ですから、他の朗読と同じように、「聞
き取れる声で、はっきりと、味わえるように読む朗読者の読み方が、何より、朗読によって神のことばを集会に正しく
伝えることになる」という『朗読聖書の緒言』(14)の勧めが、答唱詩編の朗唱にも当てはまります。オペラ歌手のよ
うな歌い方では、声(音声)ばかりが響くことになり、肝心の詩編のことば=神のことばが伝わりません。他の朗読と
同じように、まず、詩編の先唱者も、神のことばがきちんと聞こえるかどうかを確かめる必要があります。
 さて、答唱詩編は「ことばの典礼に欠くことのできない部分であり、(中略)神のことばの黙想を助ける」(『ミサ典礼
書の総則(暫定版)61』)もので、「詩編唱者、すなわち詩編の歌唱者は、朗読台または他の適当な場所で詩編の
先唱句を述べ、会衆一同は座って聞く」(同書)とされています。答唱詩編の詩編の先唱も、『朗読聖書』の一つです
から、基本的には、一人の先唱者が朗読台から先唱します。何らかの理由で、朗読台から行われない場合でも、会
衆にはっきりと聞こえるようなところから行う必要があります。また、他の朗読がそのように行われることがないのと
同様に、全員が詩編を全部唱えたり、聖歌隊の全員が詩編を歌ったりということは、避けるようにしたいものです。も
し、一人の詩編先唱者をたてられないようなときには、会衆または聖歌隊の何人かが詩編をとなえるとか、会衆を二
つに分けて、交互に詩編を唱えるというようにしたいものです。典礼の基本は、参加した司式者・会衆それぞれが、
互いに奉仕することで、神と人々に奉仕するのですから、なるべく、役割を分担して行うことが大切なのです。なお、
答唱詩編のところでも触れましたが、日本の答唱詩編はすべて、会衆が答唱句を歌い、詩編先唱者が詩編本文を
歌う答唱形式で作られており、全員が詩編を通して歌う単唱形式で歌うようには作られてはいません。それでも、共
同体によっては、詩編の先唱者を立てられないところもあるかもしれません。そのようなときは、複数の人が詩編を歌
うか、会衆を二つにわけて=ちょうど、教会の祈りの歌隊共唱のようにして=交互に詩編の本文を朗唱するようにす
るのがよいのではないかと思います。
 それでは、先唱者が詩編を朗唱するときに、具体的にはどのような注意が必要かを考えてゆきましょう。
まず、気をつけなければならないのが、オルガニストと先唱者の息・呼吸です。ときどき、先唱者が詩編唱を歌い始め
る前に=たいていの場合、八分音符一拍分早く、オルガンが詩編唱の伴奏を弾き始めるのを聞くことがありますが、
これは正しい弾き方ではありません。答唱詩編のところにも書きましたが、詩編唱の各小節の冒頭は、自由リズム
のイクトゥスに(第一拍)になっていますから、詩編の先唱とオルガンの伴奏は同時に始めなければなりません。ちな
みに、オルガンの伴奏が先唱者より早く弾き始めるのであれば、333 とがめの交唱 「+あなたは」や、342 
復活賛歌の「*この夜」のように、歌詞のところに八分休符(*)が入っていて然るべきです。このようになる原因
は、先唱者が音をとれないこともあるかもしれませんが、それ以上に、先唱者とオルガニストの息が合っていないの
が最大の要因ではないかと思います。オルガン奉仕のところでも触れていますが、オルガニストは、練習のとき、先
唱者と同じように詩編を引き始める練習が必要ですし、先唱者とオルガニストも準備のときに、きちんと息を合わせ
て、詩編唱の歌い初めが揃うようにすることも大切でしょう。
 次に重要なことは、答唱句と詩編本文のバランスを考えることです。答唱句が早めのものは詩編本文も早めに、ゆ
っくり目のものは、ゆっくりと朗唱します。詩編の先唱者は、会衆が歌う答唱句の速度をよく、聴きながら、どのような
速度で、詩編を朗唱すればよいかをしっかりと考えましょう。速さと同じくバランスで重要なのが強弱です。一例を挙
げると、145~146 父よ、あなたこそわたしの神 のように、答唱句が緊張感にあふれた PP で歌われるもの
を、詩編先唱者が、無神経に歌ってはせっかくの祈りもだいなしで、よい黙想にはなりません。
 答唱句と詩編唱のバランスが大切なように、詩編唱の各小節ごとのバランスも重要です。隣り合う小節間のバラン
ス、詩編本文全体のバランス、などは、歌われる詩編の内容や音節の数によって、微妙に異なります。基本的に
は、一つの小節の中で、ことばの多いものは、やや、早めに歌います。反対に音節の少ないのものは、ゆっくり歌
い、それぞれの小節の物理的時間があまり、変わらないようにします。
 さて、実際に歌って行く場合、各小節の歌いはじめは、早めに歌い始め、終わりはていねいにおさめます。なぜな
ら、日本語はほとんどの場合、大切なことばが最後にあったり、体言止になっているからです。また、最後をていねい
におさめないと、一番最後のことばの母音が異様にのびることになり、祈りとして大変、聞き苦しいものになるからで
す。電車が駅に停まる場合も、かなり前からブレーキをかけ始め、停車位置が近づくとゆっくり停車し、乗客がつんの
めらないように止めるのが、上手な運転手です。それと同じことが、詩編唱の歌い方にもいえるのです。
 次に、詩編本文の途中で音が変わる場合は、音が変わる前に少し、ゆっくりします。そして、音が変わった後、音
節が少ない場合には、そのままの速度で、ていねいにおさめます。音節の数が多い場合は、音が変わった後、少
し、テンポを戻します。例外として、最初の音より、変わった後の音の音節が多い場合があります。たとえば、51 
神の名は の詩編唱1および2のそれぞれ2小節目です。この場合は、「神の名を」「神の名は」は4音節しかあり
ませんが、音が変わってからは、6音節あります。このような場合は、最初はゆっくり目に歌い始め、音が変わった、
2音節は心もち早めにし、3音節目くらいから、ていねいにおさめるようにします。詩編唱の途中で音が変わるもの
は、車の運転で次のようにたとえることができるでしょう。道路に段差のあるところでは、段差の前で、ブレーキをかけ
て、段差のショックを和らげ、段差を過ぎてから、再びスピードを上げるか、そのままゆっくりと停まります。
 ところで、詩編唱では、一つの小節の中で、詩編本文のことばが前後に分かれていたり、二段になっているものが
あります。このような詩編が歌われる場合、分かれているところや段が変わっているところで、間を空けたり、ことば
数が少なくても息継ぎをしているのを聞くことがありますが、これもよい祈りではありません。このように、間があいて
いたり、二段になっているのは、楽譜を印刷する技術的な限界からくるものです。本来は、すべての詩編唱を、回心
の祈り、主の祈り、あるいは 342 復活賛歌 のように、八分音符の連鈎で表記すればよいのですが、それで
は、かえって、楽譜が複雑になり、楽譜の厚さも膨大になってしまいます。そこで、詩編唱の最後の音、あるいは、音
が変わる前までを全音符とし、それ以外を、四分音符や二分音符にしているのです。ですから、詩編唱は、基本的に
は、一つの小節は一息で歌います。例外としては、97 このパンを食べ の二小節目や 25 栄光は世界にお
よび の詩編1の1小節目のように、息継ぎを指示する(,)がついている場合は必ず、そこで息継ぎをします。
 とはいえ、詩編を先唱する人の息の長さは、一律ではありませんし、ひとつの小節の中で、ことばが多い場合に
は、息継ぎをしたほうがことばがよく伝わる場合もあります。しかし、多くの詩編唱では、息継ぎの指示がありませ
ん。では、このような場合、どこで息継ぎをすればよいのでしょうか。まず、文節の途中では息継ぎをしないことです。
すなわち、形容詞と名詞の間、動詞とそれにかかる副詞の間、などです。たとえば、79 神よあなたはわたしの
力 の詩編唱2の4小節目の場合、「かれらは」の後で、段が変わっていますが、文章から考えると、「おおい」の後
で、息継ぎをするのが、文章の意味からも、祈りとしても、ふさわしいものであることは、疑いありません。
 このようなことに注意を払いながら、詩編先唱者は、詩編本文を朗唱して行きます。
 最後に、答唱詩編の場合、詩編先唱者は、答唱句を会衆が歌う間、会衆がどのように答唱句を歌うか、耳を傾ける
ことで、会衆の声に心を合わせ、それとともに、詩編本文をどのように祈り、朗唱するか準備します。先唱者もすべて
の答唱句を歌っていては、自分の祈りの持ち場である、詩編本文に集中できませんし、典礼の基本である、役割を
分担することで、お互いが神と人とに奉仕する、という原則からも、よいことではありません。もし、先唱者も答唱句を
歌うとすれば、最後の答唱句を一緒に歌うようにします。
 
【行列の歌=入祭・奉納・会食(拝領)の歌などの詩編先唱】
 行動参加の歌とも言える、これら、三つの行列の歌の場合も、先唱者が注意することは、基本的に、答唱詩編の場
合と同じですが、これらの歌は、答唱詩編と異なり、必ず、何らかの行動=行列の間に歌われます。また、これらが
歌われるときには、基本的に会衆も立って歌うことが基本です。
 答唱詩編の場合は、ことばの典礼の中の、朗読の一つとして行われますので、一人の詩編先唱者が朗唱します
が、これらの行列の歌の場合は、複数の先唱者(いわゆる、ソリ)がよいようです。これらの歌は、答唱詩編と違うこと
から、詩編唱もすべて、会衆、全員で歌う場合もあるようですが、先にも書いたように、役割を分担することで、お互い
が神と人とに奉仕する、という典礼の原則から言っても好ましいものではありません。また、詩編を一緒に全員で歌う
と、全員が、歌うことに気が散ってしまい、肝心の、行列の様子を見るという行為がおろそかになってしまいます。さら
に、自分の声と他の人の声が交錯し、結局、何を歌ったのか分からなくなるということにもなりますし、特に、会食(拝
領)の歌の場合、詩編唱の数が多いと、だんだん、疲れてきて、最後は元気がなくなり、声も小さくなってしまいま
す。加えて、これら、行列の聖歌は、あくまでも、典礼行為の間に歌うものですから、行列の長さによって、調整が必
要になってきます。先唱者(聖歌隊などの)が何人かで歌っていれば、詩編唱を増やしてゆく場合でも、どの詩編を歌
うかの判断が容易ですが、全員で歌った場合には、それのような融通を利かすことができません。先唱者が詩編を
歌うようにすれば、会衆は、入祭の場合は、入堂する司祭や奉仕者の動きを見ることができますし、奉納の場合は、
奉納行列や、司祭の祭壇の動きに目を留めることができますし、会食(拝領)の場合は、答唱句だけなら、ほとんど
覚えてる人が多いでしょうから、聖歌集をもって行列する必要がありません。先唱者を複数にしておくことの利点は、
特に、会食(拝領)の歌の場合、先唱者も交代で、キリストの体に結ばれることが出来、詩編の先唱も途切れること
がないからです。このように、典礼の原則からも、実用の面からも、詩編の先唱者は、複数の人(ソリ)が分担するほ
うがよいのです。教会の伝統的な祈りである、グレゴリオ聖歌も、これらの歌の詩編の部分は、先唱者が歌うように
なっています。答唱句と詩編を交互に歌うことで、歌わない人は歌っている人の祈りのことばに耳を傾けて耳で祈り、
歌う人は聴いている人のために声で奉仕するのです。もちろん、会衆の人数が少ない場合には、詩編唱も全員で歌
うことになる場合もありえますが、これは、あくまでも、例外といったほうがよいでしょう。

【その他の先唱者】
 先唱者には、詩編の先唱以外に、ミサ賛歌や共同祈願、教会の祈りの先唱者もあります。これらの先唱は、詩編
の先唱の場合とはかなり異なります。詩編の先唱の場合、会衆の答唱句と先唱者の詩編の朗唱が交互に行われる
のに対し、これらの先唱は、先唱者の先唱に対して、会衆が応唱するという、起→結という完結の形をとっているから
です。このような先唱の場合は、会衆が先唱の祈りをよく味わい、ふさわしい応唱を導くことが必要です。とりわけ、
共同祈願の場合は、その日の福音朗読を前提に、その時、その場、一回限りになりますから、会衆の心に響き、会
衆の応唱が力強いものとなるように朗唱しますが、かといって、だらだら、間延びした先唱でも困ります。
 ミサ賛歌の先唱の場合は、いずれも、ミサの流れを考えて先唱する必要があります。とりわけ、205 感謝の賛
歌 は、司祭の叙唱を受けて、続く、会衆の賛美の叫びを導くものです。203 あわれみの賛歌 と 206 平和
の賛歌 は、繰り返しになっていますから、毎回、同じテンポ、強さではないはずです。とりわけ、平和の賛歌の場
合、結びの祈りは「われらに平安を与えたまえ」ですから、一回ごとに、祈りが深くなってくるような先唱でなければな
らないでしょう。
 
 最後に、先唱者は答唱詩編の場合はもちろん、その他の先唱者の場合にも、ほとんどが、詩編を初めとする聖書
のことばを歌うわけですから、詩編をはじめ、聖書について知的にも霊的にも理解を深める必要があることは、いうま
でもありません。特に、答唱詩編の先唱の場合は、その日のことばの典礼の一部ですから、その日のミサのほかの
朗読、とりわけ、福音朗読と第一朗読を味わい、自分が歌う詩編との関係をとらえておくことも大切です。その他の先
唱も、会衆の答唱や応唱を導くものですから、自分の先唱句はもちろん、どのような祈りにすれば、会衆が先唱句を
よく味わい、ふさわしい答唱、応唱を導けるかを考える必要があります。そのためには、会衆が神のことばを豊かに
味わうことができる歌い方に気をつけることはもちろんですが、まず、信徒の一人として、常日頃から神のことば、キリ
ストの福音に対する情熱を失うことなく、聖書と典礼に対する、知的、霊的理解と祈りを深め、信仰と聖歌による、祈
りのセンスを研ぎ澄ませておくことが最も肝心なことなのです。


 《本項は、拙稿、『聖歌は生歌-典礼音楽入門』の原稿を一部割愛し、
修正したものです。なお、刊行の予定は未定です。》 



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